中学時代に国語辞典の呪いから抜け出せなくなった話

中学時代、一番読んだ本は何?と聞かれたら、国語辞典と即答する。

常にノートとペンを持ち歩き、先生や友人との会話で知らない言葉が出てくればノートにメモ、小説を読んでいる時にも知らない言葉があればメモ。テレビを視聴している時に知らない言葉が出ればそれもメモ。そして、昼休みか家に帰ってから、そのノートに書いた言葉を国語辞典で調べる。

何がきっかけでこんなことを始めたのかは覚えていないが、一時期の私は、病的なほど知らない言葉をメモして、国語辞典で引いていた。メモするノートに書く言葉の数は日に日に増え続け、酷いときは1日でB5ノート1ページ分びっしり埋まっていた。

我ながら、中学生の持つ習慣としては中々知的だったと思う。しかし、当時の私は極端に走りすぎていた。

まず、授業中に知らない言葉ノートを取ることに夢中になっていたら、肝心の板書をノートに写すのがおろそかになった。次に、体育の授業を始めとする、物理的にノートを持ち込めないような時に知らない言葉を見つけると、後でそれをメモするために、本業そっちのけで脳内でそのワードを反復させるようになった。

本来やらねばならないことを忘れ、「この言葉を調べなければならない、調べなければ気がすまない」と思うようになっていた。振り返ってみると、あれは呪いのようなものだった。


どうしてこんなことを始めたのか、正確なことはもう覚えていない。推測に過ぎないが、こんなことを始めた原因は、当時小説家になりたいと思っていたことなんじゃないかと思う。小説家になるためには語彙力がなければならない→語彙を増やしたい→知らない言葉は全て調べよう、こんな考えで、知らない言葉を調べるようになったのだろう。

でもそんなのは建前の理由。本当は語彙力のある大人がかっこいいと思ったからなのだと、今は思う。